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No.124惜別の辞に替えて

2023.01.30

惜別の辞に替えて

この最初のコラムを書いたのが、2017年7月で都合10回を投稿し、私個人としては、今回が最後の投稿となる。

「ひょっこ通信」という名称には、いささか違和感はあったもののこれが最後で卒業するとなるといくばくかの寂寞を感じる。齢65歳は、一区切りでいつまでも若いつもりでじゃじゃ馬の様に働く年齢でもなくなった。というより、オペレーション作業はもう出来なくなってしまった。

そこで、私なりに会計事務所とITについてここ35年間の変遷について語ってみたい。

私は、昭和63年(1988年)に初めて会計及び税務代理事務に携わることとなった。

入社した会計事務所は大きなオフコンが1台設置されていて、ベテランの女性社員が専ら一人で入力作業をしていた。今では想像できないかもしれないが、ソノシート版の大きなフロッピーディスクを挿入して、キーボードではなく何やらペン先のようなものをデスクキーにタッチして入力していた。新人の私は触れることも許されなかった。

新人は何をしていたかというと、お客さんからの集めた領収書を整理し貼り付けたり、先輩の作成した申告書の下書きを清書したり・・・
この当時の法人税申告書は、B5判で(正)・(副)・(控)を同時に作成する必要から用紙の間にカーボン紙を敷き文鎮で押さえて作成浄書した。
別表4、5-1、5-2の関連性、検算などもこの時に覚えた。
オフコン1台はあるものの、専ら手作業で伝票→元帳→試算表→8桁精算表→決算書の手順で作成した。決算書に至ってはタイプライターで作成した。

記帳代行はあるものの、お客さんの作成した帳簿書類をチェックするにも決算業務をするにしても所内での検証作業で電卓の速さ、正確性を競い合ったりした。先輩の中には算盤(ソロバン)で勝負を挑む人もいた。IT化されていない当時は、職員共同で決算報告書を作り上げたものだ。

その後、オフコンからパソコンに移り、更には会計ソフトの進化は目覚ましく、FDは絶滅し、クラウドが主流となった。
また、パソコンが一人一台となり、使いこなせることに慣れてしまって、気が付くとコンピューターにすっかり従属されている感がある。

一気に電子化が進み、ハンコ文化もなくなりつつある。
コロナ禍でお客さんと対面せずZOOM等の手段でミーティングも可能だ。
とても便利な世の中になったと思うのだが、何やら閉塞感を覚えるのは年のせいか?
肌のぬくもりを感じることが難しい世の中になったのか?
DXは幸せな人生を歩む手段となるのであろうか?