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No.106ポンコツ親父のラーメン放浪記

2022.04.04

ポンコツ親父のラーメン放浪記

3月も下旬となり、確定申告と法人決算が重なり、心身ともに悲鳴をあげている最中、自分を癒してくれる神的存在が「ラーメン」である。

「タンポポ」という映画をご存じだろうか?伊丹十三監督の作品で、町の売れないラーメン屋を立て直すというストーリーであるが、そのモデルとなったラーメンが東京荻窪の澄んだしょうゆ味のラーメンである。いわゆる「荻窪ラーメン」であるが、私のラーメン魂の産声がこの地であった。「春木屋」「丸信」という荻窪を代表する東京ラーメンの名店がある。これぞさっぱりしょうゆ味の東京ラーメンでその奥行きの深さに感動した。
次に衝撃を受けたのが「背脂チャッチャッ系」の元祖、千駄ヶ谷の「ホープ軒」、環八通りにあった「土佐っこ」、豚骨ラーメンで一世を風靡した「なんでんかんでん」。神様山岸氏の修業した「永福町大勝軒」、巣鴨の「千石自慢ラーメン」、中野にあった「青葉」、恵比寿の「らーめん香月」も忘れてはならない。あの全部乗せで有名な池袋「光麺」は何処に行った?

以上が、筆者が20代後半から30歳半ばまでに食べ歩いた店の数々、他にまだまだ思い出深い店があるが、次に35歳を過ぎて夢中になったラーメン店を挙げていこう。

まずは、家系ラーメンの元祖「吉村屋」、ラーメンの鬼佐野実氏の「支那そばや」、新宿小滝橋通りにあった「竈」、無化調を最初に言い出した「麵屋武蔵」、あまりの旨さに涙腺が潤んだ塩ラーメンの名店、新座の「ぜんや」等々・・・。
でもやっぱり池袋の神様仏様、故山岸氏の「大勝軒」を外すわけにはいかない。

食べるために毎回1時間以上も並び、その間、法人税の理論マスターを暗記していた。税理士試験の法人税に合格するのに6年もかかったが思い出深い。
ラーメンはというと、「つけ麺」があまりにも有名。ただし、つけ麺とは言わない。「ざるそば」といい、もともとは賄い食であった。これをお店に出したら瞬く間に広まったという。豚柄、鶏柄が味の決め手というが、なんといっても決め手は、山岸さんの「人柄」。
山岸さんに惚れ込んで弟子入り希望者が大勢押し掛けたという。自分もそうしたかったのだが、こっちは税理士受験生という修業中の身。そうもいかなかった。
山岸さんの大勝軒で修業を積んだ弟子の中で、確かな味を踏襲しているのは、悲しいかな「滝野川大勝軒」だけである。他の大勝軒は?マーク。ちょっと違うな~。

次に、自分の身体に大きく影響を与えた「ラーメン二郎」について語ろう。
この中毒性のあるラーメンは、『ラーメン二郎はラーメンでない、ラーメン二郎という食べ物である』といわれほど個性が強い。注文の仕方も独特である。食券がなかった当時、「小豚ニンニク野菜マシマシ脂スクナメ辛カラ」とかまるで呪文のようにオーダーを言う。並んでいて自分の順番になったら緊張したものだ。二郎ラーメンの虜になった人達のことを「ジロリアン」と呼ぶ。自分もいっぱしのジロリアンになった時には体重も100キロを超えていたっけ・・・。

これだけの情熱をかけた対象がラーメンではなく「税務・会計」であったら今のように自身を「ポンコツ」などと卑下することもなかったろうに・・・。
この駄文の最後に浦和周辺のラーメンベストテンを掲げておこう。

10位 「舎鈴 武蔵浦和店」
9位  「百歩ラーメン 北浦和店」
8位  「篝 浦和アトレ店」
7位  「つけ麺津気屋 武蔵浦和店」
6位  「麵屋むさし坊」
5位  「鶏そば一瑳」
4位  「中華蕎麦 金魚」
3位  「佐野ラーメンたかの」
2位  「狼煙 浦和店」

そして、栄えある第1位は・・・
1位  「ときわ亭」
これぞプロ中のプロの味。文句なく100点、皆さんもいかが?