No.191家庭菜園
2026.06.23

春のはじめ、まだ朝晩に少し冷たさが残るころ、庭の片隅に小さな畑をつくった。きゅうり、トマト、水菜、枝豆、アスパラガス、そして花壇にはフリージアやアネモネ。種を並べているだけで、これから始まる季節への期待がふくらむ。けれど家庭菜園というものは、植えた瞬間がいちばん楽しいわけではない。むしろ、そのあとに続く「待つ時間」にこそ、本当のおもしろさがあるのだと思う。
土に種をまいた直後は、毎日が少し不安になる。水は足りているだろうか。気温が低すぎないだろうか。鳥に食べられてはいないか。特に水菜や枝豆のように、種から育てる野菜は、土の表面を見つめながら「本当に芽が出るのだろうか」と何度も確かめてしまう。昨日と変わらない土を前にすると、つい指で掘り返したくなるが、そこを我慢するのも家庭菜園の大事な時間だ。
数日後、ある朝ふと見ると、土がほんの少しだけ盛り上がっている。そして小さな双葉が顔を出しているのを見つけた瞬間、胸の奥がふっと軽くなる。たった数センチの芽なのに、思わず「出た」と声にしてしまう。あの安心感は不思議だ。店で野菜を買えば数分で手に入る時代なのに、自分で植えた小さな種が芽吹くだけで、こんなにも心が満たされる。
きゅうりは成長が早く、昨日より今日、今日より明日と、つるをどんどん伸ばしていく。朝に見た葉が夕方には大きくなっていることもあり、生命力の強さに驚かされる。一方でアスパラガスは、時間の流れ方がまるで違う。すぐに収穫できるわけではなく、土の下でじっくり力をため込む。その静かな成長を見守っていると、「急がなくてもいいのだ」と教えられている気持ちになる。
トマトもまた、忍耐を試される野菜だ。黄色い花が咲き、小さな青い実がついてから、赤く色づくまでには長い時間がかかる。毎日眺めていると変化はわずかなのに、ある日突然、赤みが差していることに気づく。その瞬間、それまでの水やりや支柱立て、脇芽かきの手間が、一気に報われたような気持ちになる。
家庭菜園を続けていると、人は結果だけでは満足できない生き物なのだと感じる。芽が出るまでの不安も、実がなるまでの忍耐も、すべてが収穫の喜びを深くしている。もし最初から完成した野菜だけを受け取っていたら、ここまで愛着は湧かないだろう。
フリージアの花が咲くころには、畑も少しにぎやかになる。野菜と花が並ぶ庭を眺めながら、土に触れる時間は心を整える時間でもあるのだと思う。うまく育たない日もある。虫に食われることも、雨で倒れることもある。それでもまた種をまきたくなるのは、小さな芽が土を押し上げるあの瞬間を、もう一度見たいからなのかもしれない。

